学校を終える時は、ごく普通の就職活動をして、大手コンピュータメーカーの
子会社に就職しました。当時はオフィスコンピュータが全盛の時期でした。
その後直ぐにPC98が販売されました。最初はソフトウエア技術者として
仕事を始めましたが、やがて営業マンを支援するサポートとなり、次第に営業に
なっていました。机にかじり付いているより性に合っていました。
お客様の業務内容を精査して、それに基づき業務ソフトウエアを開発し、ハード
に組み込んで納品しました。お客様に喜んで頂ける事が嬉しくて、それなりに
充実して仕事をしていました。
しかし、暫くすると、少しづつ違った思いが湧きだして来るようになりました。
それは、あれだけ、「エコロジーだ精神性の向上だ」と考えてきたのに、「誰でも
出来るコンピュータ営業で良いのか」、「あの事は忘れてしまって良いのか」との
思いです。そんな思いが日に日に強くなっていきました。そして、その時の思いを
大事にしていこうとの考えとなり、何かできる事は無いかと模索しました。
良い情報が有ればキャッチしようと、アンテナを広げていました。改めてアメリカ
留学してから国連の環境関連機関で仕事をするという事も考えました。すると、
ある中堅商社が砂漠地帯の緑化を事業として行っているとの情報を得ました。
早速その会社を訪ねて詳しい話を聞いたり、色々の方法で調べました。
その結果、目の前にあるエコロジー関連で係れる事はこれしかない。この仕事に
かけて見ようとの思いが強くなりました。そして、面接試験に臨み、無事入社が
叶いました。
コンピュータ販売会社に辞表を提出し、砂漠の緑化に挑戦する事になりました。