日本の公害


工業高等専門学校で楽しい学生生活を過ごしていました、

キャンパスが広く敷地内に池があり、毎年白鳥が飛来してしばらく羽を

休めていました。なかなかゆったりとした環境でした。

入学してあまり間の無いころに、少しづつ公害のニュースが流れるように

なってきました。川崎、四日市や尼崎などのスモッグの話などが少しづつ

広がっていきました。

そして徐々により深刻な、富山県で発生したイタイタイ病や熊本県水俣市

の水俣病が報じられるようになりました。テレビの画面には有機水銀による

中毒のために、ベットの上で身体をよじらせて苦しんでいる患者の映像が

見られるようになりました。そういった映像を見た時の驚きとショックを

今でも覚えています。

これらの情報が広がるにつれて、私の心の中で少しづつ生まれてきた感情が

があります。この患者さんたちが受けている苦しみを感じて、この不条理に

対して、居たたまれない様な憤りと悲しみが突き上げてきました。

それと同時に、「工学を学ぶ立場から、将来は自ずと工業に係るようになり、

公害を作る立場になるなんて、絶対嫌だ。」との思いが湧きだしてきました。

そのことを切っ掛けにして、それまで読書らしい読書をしてこなかった自分が

何とか自分の進む方向性を明らかにしたいとの思いで、いろいろな本を乱読

しました。その当時は学生運動のピークを過ぎた時期でしたが、左翼の本も

読みました。またアメリカのヒッピーの影響で、スピリチュアルな本もよく

読みました。それと、哲学や宗教の本なども読み、色々と悩みながら考えた

ものです。